2011年10月31日月曜日

かけ算の筆算の足場は?

今日から3年生のかけ算(筆算)に入りました。

23×3(主問題1)という式を立てて、計算の仕方を考え、筆算につないでいくというものです。

足場は、20×3=60 にしました。これがわかると、23を20と3に分けることができれば、容易に計算できるということになります。

23を20と3に分け、それぞれを3倍し、合わせればよいわけです。次のように説明させました。

まず、23を20と3に分けます。

次に、20×3=60

その次に、3×3=9

だから、60と9で69

20×3を足場にしていたので、この全体解決は容易にできたました。

そして主問題2で、47×8をさせたところ、40と7に分けたところまではよかったのですが、

40×8とすべきところを、40×7としていた子供が3人ほどいました。その理由は、主問題1で、20と3に分けたあと、20×3をやっていますが、分けた数同士でかけるのだと思い込んでいたのです。主問題1に、3が二つあったのが、間違いの原因だったことを知り、教科書通りの数字を使わない方がよかったという思いと、ここで間違いを発見できたからよかったという思いがかけめぐりました。

公開研究会終わりました!

ようやく公開研究会が終わりました。当日は、3年国語の「詩を楽しもう」(光村)の授業でした。金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」という詩で、「みんなちがってみんないい」という有名なフレーズは、この詩からのものです。


もう一つは、岸田衿子の「みいつけた」という詩です。どちらも、独特な物の見方があり、感性豊かな目を通して感じたことを表現している詩であると思います。


この2つを扱う授業ということで、「2つの詩をくらべて、にているところと違うところをみつけよう。」というめあてにしました。

みすゞの詩を詳しく読み取り、それを足場にすれば容易にくらべることができるだろうと考えました。結果、リズム、繰り返しの言葉、3つの連からできていることなど、どんどん意見が出されました。




今回の授業では、『対話』を研究の重点に取り上げていました。子供たちも、少しずつ対話ができるようになってきました。事後研究会でも、諸先生方からいろいろなご意見をいただきました。
・相手意識を持って話をしている。
・考えが変わったことを言うことができる。
・目で聴くなど、聴く姿勢ができている。
・言葉のキャッチボールがきちんとできている。
・声が大きい。
・言葉にこだわりをもって、きちんと反応している。

などなど、対話に関するご意見をたくさん頂戴しました。

最近は、普段の授業で、「気づいたことがあります」とか、「疑問に思ったことがあります」、「○○さんの意見に付け足します」などということが自然に出されるようになりました。発問する前に、すでに問題意識を持っているということもありました。今後の対話が楽しみです。

関係者の皆さん、ご指導ありがとうございました。

2011年10月20日木曜日

たった一人のあなたへ

いよいよ公開研究が来週に迫りました。ご参会のみなさん、26日はよろしくお願いします。

さて、先日、校長先生より交通安全研修会の資料をいただきました。平成8年に、交通事故でお子さんを亡くされた渡邊さんという方の手記です。
(ここから)

たった一人のあなたへ

あなたの誕生日はいつですか?
どんなごちそうとプレゼントで、祝ってもらうのでしょう?
家族みんなが、その日を待っているのでしょうね・・。

3月3日のひな祭りは、娘の誕生日。その日が私の一番辛い日です。
大切な記念日なのに、おかしいでしょう?

あの子の靴も、服も、机も、何もかもがあの日のまま残っているのに、
あの子の誕生日は必ずやってくるのに、あの子だけがいないのです。
いなくなった日からもう何年も過ぎたのに、「ただいま、お母さん!」と元気に
帰ってくるような気がしてならないのです。私は、心の中でじっと息をこらし、
あの子が帰ってくるのを待っているのです。

「大人になったらなんになるの?お花屋さん?誰か好きな人のところへ行っちゃうのかな?」
わくわくする気持ちで娘に尋ねた時のことです。
「そんな悲しいこと言わないで!私はずっとお母さんのそばにいる。」
そんなことを言ってくれる優しい子でした。

どうしてあの子が急にいなくなってしまったのでしょう。どうしてあの子だったのでしょう。
「守ってあげられなくてごめんね。」
もう二度と笑うことのない冷たい頬を、何度も何度も撫でました。
できることならもう一度抱きしめて大好きだと伝えたい、もう一度髪を結ってあげたいのです。
もう一度声を聞かせて下さい、神様。
今、私は、何をしたらあの子が喜んでくれるのかを考えています。
いつかあの子に会える日が来たとき、
「お母さん、頑張ったね。」と言ってほしいから・・。

毎日当たり前に会える家族を失ってわかる、当たり前の幸せ。
あなたがそばにいることでうれしい人がいて、あなたが生きていることで、勇気が出る人がそばにいます。
あなたは、何ものにもかえられない宝物。だって、この世でたった一人しかいない「あなた」なんですもの!

(手記ここまで)

(本人コメントここから)

娘、祥子は、いつも私の傍にいるのが当たり前すぎて、その存在がいかに大きくてかけがえのないものだったのか、幸せすぎていた私にはわからなかったのです。
日々の暮らしに追われながらも、家族が一人として欠けることなく過ごせるということが、いかに大切で尊いものであるのか・・・。
このことを少しでも多くの方に伝えることができたなら、私はいつの日かまた、祥子に逢えるような気がしているのです。

                                         山形市   渡邊 理香
(ここまで)

この研修会の記事は、地元新聞にも取り上げられていました。渡邊さんは、お子さんを亡くされてもけっして不幸ではないと思います。それは、「このことを少しでも多くの方に伝えることができたなら、私はいつの日かまた、祥子に逢えるような気がしているのです。」という生きる意味を見出しているからです。

子供がいて当たり前、毎日ご飯が食べられて当たり前、すべての当たり前の幸せに感謝したいと思いました。

2011年10月13日木曜日

太田先生の教えは、永遠に伝わっていく

3年生の算数で、今、重さを学習しています。単元の最後の方に、メートル法についての表があります。1メートルを基準にして、キロは1000倍で、センチは1/10などという長さの関係が、かさでも重さでも同じ言い方をするというものです。たとえば、1L=1000mLとか、1㎏=1000gなどの関係は、すべてメートル法で定められた接頭辞である「ミリ」「キロ」などの意味からくる関係です。

このメートル法を教えていた時、ふと自分が4年生の時のことを思い出しました。4年生の時の担任が、産休をとったために臨時の女の先生が担任となりました。太田よう先生です。退職なさった方で、私たち4年生から見ると、おばあちゃん先生でした。

この先生は、ご年配でしたが、子供の気持ちをつかむのがとても上手な先生でいらっしゃいました。算数の時間は、グランドに出て10メートル四方の正方形のラインを引き、その中で鬼ごっごをさせてくれました。先生はこの遊びを、「1アール遊び」と呼んでいました。当時、なんで算数の時間にグランドで鬼ごっこをするのかわかりませんでしたが、教室の学習より楽しいので、まあいいかと思って楽しんで遊びました。それ以降、アールやヘクタールとい単位が出てくると、必ず「1アール遊び」の時の広さが具体的にイメージできました。「太田先生があの遊びをさせたのは、量感をつかませたかったからだったのか。」と気づいたのは、教員になってからでした。

その太田先生が、メートル法の授業をしていた時、私たち4年生が難しそうにしているのを見て、「こう覚えると楽しいよ。」と言って、次のようなことを教えてくれました。

「キロキロ」と、「ヘクト」「デカ」けたメートルは、「デシ」に見られて「センチ」「ミリミリ」

教室中大笑いになりましたが、私たちはみんなで楽しく唱えたものでした。その後、メートル法が出てくるたびに、この呪文(笑)が頭に浮かびました。そして、今現在、自分が教師として同じことを子供たちにこの呪文を教えると、やはり教室中が大笑いになり、みんなで楽しく唱えることができました。

さらに、このことで興味を持った子供たちは、
「キロの上の単位は何ていうのかな?」「ミリより小さい単位はあるのかな?」
などという疑問を持ちました。私は、あわててネットで調べ、「ギガ」「テラ」「ペタ」「エクサ」「ゼタ」「ヨタ」などの1000倍ずつの接頭辞と、「マイクロ」「ナノ」「ピコ」「フェムト」「アト」「ゼプト」「ヨクト」など、1/1000倍ずつの接頭辞を 黒板に書きました。

その時、ふだん言わないとノートに書こうとしない子供までもが、目を輝かせてこの接頭辞を書きとっていました。
「覚えなくていいのに、なんでノートに書くのだろう?」
と、不思議に思いましたが、これが興味を持って学ぶということだとわかりました。子供たちの、この意欲は、太田先生による呪文や「1アール遊び」のような何気ないことから発しているんだと感じました。毎時間、こんなことをすることはできませんが、教師が子供たちの学ぶ意欲を喚起することが、いかに算数を好きにさせるかを、このメートル法の指導で再確認することができました。

今は天国にいらっしゃる太田先生は、いつも私の中で笑顔で応援して下さっています。ありがとうございます。この子供たちも、いつかどこかで太田先生の教えを伝えていくのでしょう。

2011年10月10日月曜日

心機一転!

皆さん、3連休はいかがでしたか?
天気に恵まれ、行楽日和でしたね。スポーツや芋煮会など、たくさん楽しんだのではないでしょうか。

さて、今日は3連休最終日!先日、金スマで見た掃除のことを思い出し、自分の部屋の大掃除をしようと思いました。

金スマでは、まだ使えるかどうかではなく、自分にとってときめくものかどうかで決めなさいというご指摘がありました。

過去の研修会やら指導案やら、いろいろな資料をきちんととって置いたのですが、ここ数年開いてみたことのある資料は、ほとんどありませんでした。本も、過去に読んだものを並べていただけで、10年以上触れていないものばかり・・

今後の参考になるだろうととっておいた資料や本。でも、全然使わないし、やはりときめくものがほとんどないと思い、すべて捨てることにしました。本はBOOKOFFで売り、3000円にもなりました。

金スマで指南されていた先生によると、ときめかないものを全て捨て去ることにより、新しい風が吹いて人生が変わると言っていました。昔読んだ本との別れは、ちょっと辛いものもありましたが、過去の自分を捨て、新しい自分に心機一転できたようで、心が軽くなりました。

自分が読んだ本も、どこかの誰かに読まれ、感銘を与えるかと思えば、すっきりしてきました。いつまでも過去にしがみついていた自分とさよならできたような気分になりました。

日々、新しい自分を見つけていきたいと思いました。

2011年10月1日土曜日

自ら学ぶべきは教師

今日は息子のサッカー部新人戦!ぜひとも勝たせたかったが、やはり勝負の世界・・なかなかきびしいです。

さて、きのう市の教育長の講話を聴く機会がありました。学力向上についてのお話でしたが、共感する部分が多く、アップすることにしました。

一言で言えば、若手教員や他の教員に、今まで培ったいろいろな教育技術を伝え、学力を上げてほしいということです。当然ながら、学校研究やらでみなさんによりよい授業を提案しているわけですが、ここで教育長は研修という言葉に触れていました。研修というのは、教育法規に定められている通り、教師は常に研究と修養に努めなければならないという内容があります。教育長は、そういう定められた研修ではなく、いろいろな面から他の教師に自分の培ったことを広げたり、議論したりしながら互いに伸びていかなければならないということをおっしゃっていました。

決められた研修についてきちんとやる先生方は、とてもすばらしいのですが、今一つ足りないところがあるように思われてなりません。

それは、主体的な研修です。もちろん、明日の授業に向けての教材研究を日々行っているわけですが、新しい指導法についての実践研究や、主体的に授業を見せ合って深めるという雰囲気は欠けているような気がします。

学校研究や市町村単位などの教科研究会という組織を通しての研修の機会はあります。しかし、すべて義務的な研修です。ですから、「どんな研修をしたいか」ではなく、「何をすればいいの」という受け身的な意識で参加しているような気がします。

学校現場は忙しすぎるというのはわかります。しかし、よりよい授業をして学力を上げているというすばらしい実践をしている先生もたくさんいます。そういうことを主体的に学び合うことが大事だと思います。

米沢の先生がおっしゃっていました。
「研究会を何度か立ち上げようとしたけれど、主体的に学ぼうという先生はいませんでした。」
忙しい、魅力がない、目標とする先生がいない、必要がない、報告する実践がない・・・などいろいろな理由が考えられます。

まずは、自分の実践研究をしっかりと行い、賛同していただける先生を一人でも多くしていくことが大事かなと思いました。こういう気持ちが、自ら学ぶ子供を育てていくことにつながるのではないでしょうか。

先生方、決められた研修の場だけでなく、主体的に学びあいましょう!
自分の実践を紹介し、 議論しながら互いに伸びていきましょう!