昨日,T先生による"教育講演会"がありました。
つねに、研究を続け,現状に甘んじない姿勢に尊敬しています。
とても勉強になるお話ばかりで良い時間を過ごす事ができました!
昨日、TTによる道徳を実施しました。
算数のブログですが,こんな投稿お許し下さい。
先月,教頭先生からTT道徳のお話を頂きました。
その時,次のような疑問がありました。
・2人で道徳を実施するねらいは何か。
当たり前ですが,はじめはねらいがわかりませんでした。
しかし、道徳学習指導要領にはその記述がしっかりと載っていました。
今回の道徳において、ねらいとしたことは
「資料の内容に心を共感させる手だてをしっかりと行うこと」です。
発問をしても、心が資料に入り込んでいなければなかなか心を耕せない。
→その不安を解消するため、資料理解のための発問が増加する。
→いつのまにか、心を耕すのではなく、資料(テキスト)を耕し,掘り起こす作業になっている。
→発問しても,テキストをよりどころにして、あたかも”正解”を探し出すかのような様相を呈する。
自分は、経験もないため、よくこのような”道徳的デフレスパイラル”に陥ってしまいます。
このようなスパイラルにならないように、資料をストンと心の中に落とし込んでいく手だてはないか。
その一つの手段として今回のTT役割分担による資料の読み聞かせがありました。
今回の道徳は,「資料を落とし込む→共感しきったところで、教師からの発問2つについて考えを述べる→クラスの友達の考えを聞く」それだけでした。つまり、子ども達の対話によって価値に気づき、近づき・・・というプロセスはありませんでした。
宮内小学校がねらいとする「対話」による道徳的価値の高まり。これは「宮内小学校の道徳」の資料にも明確に位置づけられており、それが「宮内小学校の共通理念」でもあります。
そういった意味で考えると,今回の道徳は「なぜ?」という疑問が拭えないと思います。
「いきなり普段と違う提案?」
「研究内容と違うじゃないか」
「普段の授業ではなかなかできない」
まったく同感です。
では、「やらなければよかった」のでしょうか。
道徳的価値を子ども達に伝えたい。
大局的な立ち位置で考えれば,今回の道徳は「やってみた」ことに価値はないのでしょうか。
やらなければ、提案しなければ議論はおこらないと思います。
こういった提案をするからこそ「おいおい、ちょっと!」といった議論が起こるんだと思います。
try&error(挑戦&課題修正)
やってみたからこそ、バグが発生し,そのバグを導きたい方向へ修正する。
その大切さを痛感した一日でした。
今回は、教頭先生に乗っかっただけで、何もしておりませんが、本当に勉強させて頂きました。こういった真剣な議論の積み重ねが教員を強くしていくのだと思いました。
1 件のコメント:
先日はありがとうございました。
また、いろいろな指導についての話をしましょう。
若い先生方は、今のやり方を改善、いやいや改革する力があると思います。(若くなくても、そういう人いますが・・)
いままでにないことをしようとすると、必ず重いものを感じます。ベテランの先生方は、今までの経験で考えようとする傾向があると思います。それも、まちがっているわけではありませんが、新しいもののよさをわかろうとする努力も必要だと思います。その新しいもののよさは、実践で結果を出し説得していくことです。がんばってください!
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