いよいよ公開研究が来週に迫りました。ご参会のみなさん、26日はよろしくお願いします。
さて、先日、校長先生より交通安全研修会の資料をいただきました。平成8年に、交通事故でお子さんを亡くされた渡邊さんという方の手記です。
(ここから)
たった一人のあなたへ
あなたの誕生日はいつですか?
どんなごちそうとプレゼントで、祝ってもらうのでしょう?
家族みんなが、その日を待っているのでしょうね・・。
3月3日のひな祭りは、娘の誕生日。その日が私の一番辛い日です。
大切な記念日なのに、おかしいでしょう?
あの子の靴も、服も、机も、何もかもがあの日のまま残っているのに、
あの子の誕生日は必ずやってくるのに、あの子だけがいないのです。
いなくなった日からもう何年も過ぎたのに、「ただいま、お母さん!」と元気に
帰ってくるような気がしてならないのです。私は、心の中でじっと息をこらし、
あの子が帰ってくるのを待っているのです。
「大人になったらなんになるの?お花屋さん?誰か好きな人のところへ行っちゃうのかな?」
わくわくする気持ちで娘に尋ねた時のことです。
「そんな悲しいこと言わないで!私はずっとお母さんのそばにいる。」
そんなことを言ってくれる優しい子でした。
どうしてあの子が急にいなくなってしまったのでしょう。どうしてあの子だったのでしょう。
「守ってあげられなくてごめんね。」
もう二度と笑うことのない冷たい頬を、何度も何度も撫でました。
できることならもう一度抱きしめて大好きだと伝えたい、もう一度髪を結ってあげたいのです。
もう一度声を聞かせて下さい、神様。
今、私は、何をしたらあの子が喜んでくれるのかを考えています。
いつかあの子に会える日が来たとき、
「お母さん、頑張ったね。」と言ってほしいから・・。
毎日当たり前に会える家族を失ってわかる、当たり前の幸せ。
あなたがそばにいることでうれしい人がいて、あなたが生きていることで、勇気が出る人がそばにいます。
あなたは、何ものにもかえられない宝物。だって、この世でたった一人しかいない「あなた」なんですもの!
(手記ここまで)
(本人コメントここから)
娘、祥子は、いつも私の傍にいるのが当たり前すぎて、その存在がいかに大きくてかけがえのないものだったのか、幸せすぎていた私にはわからなかったのです。
日々の暮らしに追われながらも、家族が一人として欠けることなく過ごせるということが、いかに大切で尊いものであるのか・・・。
このことを少しでも多くの方に伝えることができたなら、私はいつの日かまた、祥子に逢えるような気がしているのです。
山形市 渡邊 理香
(ここまで)
この研修会の記事は、地元新聞にも取り上げられていました。渡邊さんは、お子さんを亡くされてもけっして不幸ではないと思います。それは、「このことを少しでも多くの方に伝えることができたなら、私はいつの日かまた、祥子に逢えるような気がしているのです。」という生きる意味を見出しているからです。
子供がいて当たり前、毎日ご飯が食べられて当たり前、すべての当たり前の幸せに感謝したいと思いました。
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