今日は、参観日でした。
3年算数「重さ」をすることになりました。ちょうど第1教時ということで、天秤を使うことにしました。
ビニールテープとのりの重さを比べるという内容です。
1 直接比較(2つを天秤に乗せて、直接比べる)
2 間接比較(天秤の片方に一つを乗せて、もう片方に積み木を乗せ、積み木の数を数え る)
3 積み木でなく、普遍単位である1gを知り、単位を元に二つの重さを量る。
この流れで、重さについて普遍単位のgについての理解を深めるという内容です。本時の足場は何かと考えました。単元の導入だから、足場は必要ないのかなとも考えました。しかし、導入だろうと既習の知識や技能、アイディアは必ず存在するだろうと思いました。
そこで、同じ量と測定の領域で、長さが既習であることに気がつきました。2年生の算数で、二つの直線を、直接比較、間接比較、普遍単位という流れで学習しています。この考え方を足場にすれば、重さも同じであるという見方を養うことができます。
実際の授業では、長さくらべを足場にして重さとの共通点から同じように重さの普遍単位へと流すことができました。板書では、主問題だけですが、実際にはそれぞれのグループごと直接比較と間接比較により、2つの物の重さを比べることができました。
g(グラム)については、日常生活で知っていたり使っていたりするわけですが、まだまだ3年生は重さの概念がよく理解できていません。授業では、初めて重さを学習するわけですが、実は長さと同じ考えでとらえることができるということを理解できた授業だったと思います。
類推思考という数学的な考え方は、このようにして養われるのだろうと思いました。
この授業をご覧になられた保護者の方々からも、コメントいただけるとありがたいです。
本研究会では算数科を中心に、算数学び合いの石田淳一教授(東京家政大学、前横浜国大)のご指導のもと、「協働的な学び合い」の実践研究をしています。さらに、教育実践研究家の菊池省三先生を代表とする「菊池道場山形支部」として、白熱する教室を生み出す学級づくりをして、「主体的・対話的で深い学び」ができる子どもの育成を目指しています。 お問い合わせは、山形県南陽市立赤湯小学校 田井地 清まで vaio0819@yahoo.co.jp
2011年9月28日水曜日
2011年9月20日火曜日
講演「対話力を育てる」 目白大学 多田孝志先生
「C改革」・・これは山形県が数年前に掲げたものです。Cは、コミュニケーション。もちろん授業では、交流とか関わり合うという言葉で、学校研究でも取り上げている学校が多数あると思います。他者と関わる力は、これからの国際社会を生き抜くために重要な力であることは、誰しも認めるところです。しかし、関わらせる場を設ければそれでよいのか、どういうのが関わるというのか、どうすれば関わる力が身につくのか、などということをはっきりとらえないままに、授業や研究をしていることが多いのではないでしょうか。
最近「対話のある授業」という言葉をよく聞きます。対話を辞書で引いてみると、「直接に向かい合って互いに話をすること。また、その話。多くは二人の場合にいう。対談。」などという解釈がありました。今までは、そういうイメージでとらえていましたが、授業での対話というものは、もっと奥深いものがあります。自校の学校研究の中心にこの対話というものがあり、いろいろと学ぶうちに、対話のある授業の意義が、少しずつ理解できるようになってきました。(実践は、まだまだですが・・)
そんな時、本校に目白大学の多田先生をお迎えしての講演会を開催するという機会がありました。多田先生は、対話に関する第一人者として知られている先生です。多田先生の講演では、学ぶべき点が多々ありました。
(以下、講演の抜粋)
・最近の日本人に問われているもの。それは、対話力。しかし、公的な場面で自分の考えを言えない日本人。次々に意見を言う力、新しいものを考える力、深める力・・日本人はこういう力が弱いとされている。
・対話というものは、自分の考えが対話によって変わるおもしろさ、自分を出して表現することのよさが実感できる。批判には、愛がなければらなない。
・意見を言ったら終わりという意識があるが、やりとりが生まれるものでなくてはならない。つまり、形式的な対話は意味がない。
・子供自身が変わる喜びを味わわせる。(対話への意欲の喚起)響き合い、創り合い、伝えあい、通じ合うことが大切。
・対話の喜びの感得。知的爆発(知的化学変化)を促していくが、一部の子供だけでなく全員が話をすることに意義がある。意見を言えない子供を大切にしていく。(教師の見とりやコメント力がカギとなる)
・正確に聴く、励まし勇気づけながら聴く、批判しつつ聴く、引き出しながら聴く。
・スピーチ力を高める ⇒ 自分の考えを持つ、伝えたいことを魅力的に表現する、聴き手を引きつけるための意思や情熱が大切。
・対話力を高めるためのスキルを日常化する。(じゃんけんで質問をし合う、今日会ったことを話す、絵を見て気づいたことをたくさん書かせる、オープンエンドの問題場面でたくさんの答えを見つける・・など)
(ここまで)
うちのクラスは、積極的に意見を言う子供がたくさんいますが、まだまだ発言できないでいる子供がほとんどです。日常的にスキルを高めなければ、対話は生まれないと思いました。やはり、実践ですね。
この講演会を通して、対話のある授業像が少しずつ見えてきました。
講演後、夕方多田先生との懇親会に参加しました。C改革にも深く関わっていらっしゃることもお聞きしました。またまた、いろんなお話をお聞きすることができ、うれしく思いました。
多田先生、ありがとうございました。
最近「対話のある授業」という言葉をよく聞きます。対話を辞書で引いてみると、「直接に向かい合って互いに話をすること。また、その話。多くは二人の場合にいう。対談。」などという解釈がありました。今までは、そういうイメージでとらえていましたが、授業での対話というものは、もっと奥深いものがあります。自校の学校研究の中心にこの対話というものがあり、いろいろと学ぶうちに、対話のある授業の意義が、少しずつ理解できるようになってきました。(実践は、まだまだですが・・)
そんな時、本校に目白大学の多田先生をお迎えしての講演会を開催するという機会がありました。多田先生は、対話に関する第一人者として知られている先生です。多田先生の講演では、学ぶべき点が多々ありました。
(以下、講演の抜粋)
・最近の日本人に問われているもの。それは、対話力。しかし、公的な場面で自分の考えを言えない日本人。次々に意見を言う力、新しいものを考える力、深める力・・日本人はこういう力が弱いとされている。
・対話というものは、自分の考えが対話によって変わるおもしろさ、自分を出して表現することのよさが実感できる。批判には、愛がなければらなない。
・意見を言ったら終わりという意識があるが、やりとりが生まれるものでなくてはならない。つまり、形式的な対話は意味がない。
・子供自身が変わる喜びを味わわせる。(対話への意欲の喚起)響き合い、創り合い、伝えあい、通じ合うことが大切。
・対話の喜びの感得。知的爆発(知的化学変化)を促していくが、一部の子供だけでなく全員が話をすることに意義がある。意見を言えない子供を大切にしていく。(教師の見とりやコメント力がカギとなる)
・正確に聴く、励まし勇気づけながら聴く、批判しつつ聴く、引き出しながら聴く。
・スピーチ力を高める ⇒ 自分の考えを持つ、伝えたいことを魅力的に表現する、聴き手を引きつけるための意思や情熱が大切。
・対話力を高めるためのスキルを日常化する。(じゃんけんで質問をし合う、今日会ったことを話す、絵を見て気づいたことをたくさん書かせる、オープンエンドの問題場面でたくさんの答えを見つける・・など)
(ここまで)
うちのクラスは、積極的に意見を言う子供がたくさんいますが、まだまだ発言できないでいる子供がほとんどです。日常的にスキルを高めなければ、対話は生まれないと思いました。やはり、実践ですね。
この講演会を通して、対話のある授業像が少しずつ見えてきました。
講演後、夕方多田先生との懇親会に参加しました。C改革にも深く関わっていらっしゃることもお聞きしました。またまた、いろんなお話をお聞きすることができ、うれしく思いました。
多田先生、ありがとうございました。
2011年9月12日月曜日
「教えずに考えさせる授業」とは
運動会も終わり、学力充実の時期になってきましたね。
というわけで、教科指導にじっくりと取り組んでいきたいと思います。
さて、「教えずに考えさせる授業」(算数)とは、どんなものなのか。
・授業中に教科書を閉じておく。
・予習はさせないで、復習だけを行う。
・計算の仕方や公式を自力発見させる。
・具体的操作活動により、帰納的に導かせようとする。
・多様な考えを出させる。
これは、今まで行なってきた「問題解決型の学習」です。
つまり、問題を提示して、課題と見通しを持たせ、自力解決、全体解決(学び合い)、まとめ、練習という従来の流れです。うまくいったときは、とてもいい授業になります。
しかし、いろいろな問題もありました。
・既習と本時の問題が結びつかない子が多い。
・学び合いで言っている意味がわからず、ごく少数だけの話し合いになってしまう。
・たまに、塾ですでに学習している子供もいて、興味を失うこともある。
・多様な意見を出すことで、わからない子はますます混乱してしまい、多くの意見は切り捨てられる。
・自力解決や討論に多くの時間を費やし、まとめや練習の時間がとれないことが多い。
・教科書を使わないで自作プリントにて学習させるため、復習のときに振り返る手立てが乏しくなる。
新採からずっと問題解決型をやってきて、このような問題点を、どう改善していくかというのが、学校研究のテーマにもなっています。
たとえば、「練り上げ」などという業界用語もできるほど、教師の力量で多様な意見をまとめていくことが大切だということを教えてもらい、「多様な考えの活かし方」などという本を購入して勉強したこともあります。
わからない子供への個別指導を支援と呼び、教えるのではなくて支援するという考えを言っていた指導主事もいました。
問題解決型の授業パターンの中では、やはりわからない子供はわからないのだという結果がつきまとってきたように思います。
そういう意味で、「教えて考えさせる」という理論は、授業改善、いや授業改革だと思います。
というわけで、教科指導にじっくりと取り組んでいきたいと思います。
さて、「教えずに考えさせる授業」(算数)とは、どんなものなのか。
・授業中に教科書を閉じておく。
・予習はさせないで、復習だけを行う。
・計算の仕方や公式を自力発見させる。
・具体的操作活動により、帰納的に導かせようとする。
・多様な考えを出させる。
これは、今まで行なってきた「問題解決型の学習」です。
つまり、問題を提示して、課題と見通しを持たせ、自力解決、全体解決(学び合い)、まとめ、練習という従来の流れです。うまくいったときは、とてもいい授業になります。
しかし、いろいろな問題もありました。
・既習と本時の問題が結びつかない子が多い。
・学び合いで言っている意味がわからず、ごく少数だけの話し合いになってしまう。
・たまに、塾ですでに学習している子供もいて、興味を失うこともある。
・多様な意見を出すことで、わからない子はますます混乱してしまい、多くの意見は切り捨てられる。
・自力解決や討論に多くの時間を費やし、まとめや練習の時間がとれないことが多い。
・教科書を使わないで自作プリントにて学習させるため、復習のときに振り返る手立てが乏しくなる。
新採からずっと問題解決型をやってきて、このような問題点を、どう改善していくかというのが、学校研究のテーマにもなっています。
たとえば、「練り上げ」などという業界用語もできるほど、教師の力量で多様な意見をまとめていくことが大切だということを教えてもらい、「多様な考えの活かし方」などという本を購入して勉強したこともあります。
わからない子供への個別指導を支援と呼び、教えるのではなくて支援するという考えを言っていた指導主事もいました。
問題解決型の授業パターンの中では、やはりわからない子供はわからないのだという結果がつきまとってきたように思います。
そういう意味で、「教えて考えさせる」という理論は、授業改善、いや授業改革だと思います。
2011年9月1日木曜日
算数の予習はしてはいけないのか?
まだまだ残暑がきびしい日もありますが、いかがお過ごしですか?このブログも、約1年になりますが、アクセス数が6000近くにもなっているのを見ると、読者の方がたくさんいらっしゃるのだなと驚いています。お読みいただいている方々、本当にありがとうございます。
さて、小学校の教師になってから今まで、算数の宿題は必ず復習中心でした。今日学習した内容が、しっかりと定着しているかどうかを確認するためです。それはそれで間違いではないのですが、最近、ふと思ったことが2つありました。
1つ目は、自分が算数・数学が好きになった原因です。もともと、小学校のころは、算数については中の中ぐらいで、算数は苦手じゃないけれど、得意でもないという感じでした。特におもしろみも感じていませんでした。
中学校に入り、ふと手に入れたカセットの教材。これは、テキストにカセットテープがついていて、カセットの指示通りに学習を進めることができるというもので、授業の前に予習もできるというものでした。授業の前にこのカセットで学習をしてみました。とてもていねいなテキストで、わからなかったり、間違った時はその場でカセットが自動で停止し、もう一度じっくり考えられるようなものでした。ですから、授業前に授業内容をほとんど理解していました。
そしたら、授業で先生が言うことすべて納得できたし、どんどん覚えることができました。さらに、成績も上がり、数学が大好きになっていました。予習のおかげでした。
2つ目は、 「考える足場」の授業スタイルにしてから、教えて学ばせるということの大切さを知りました。今までは、考える力をつけるために、教えないで学ばせていたということを実感しました。子供たちには、もっともっと教えていいのではないだろうかと思い始めました。
そんな時、東大の市川先生の著書「教えて考えさせる授業を創る」という本に出会いました。この先生は、以前このブログにも書きましたが、寒河江南小学校や足場の研究で有名になった青森県長者小学校などへ指導されている先生です。足場と同じ方向性ということで、本を購入しました。
その本の中に、予習の重要性について書いてありました。「算数で予習させてしまっては、やり方とか答えを見てくるので、考える力が身に付かないのではないか。」と疑問に思いました。しかし、自分の中学校時代の経験や、足場での実践のことを思い出し、子供たちに予習をさせてみることにしました。(もちろん、予習の仕方を子供たちに説明しました)
まだ、予習を奨励して1週間ぐらいしかたっていませんが、子供たちは少しずつ変わっています。まず、今まで消極的だった子供が、意欲的に挙手をするようになったことや、練習問題をすらすら解いて、他の子供に説明している子供が増えたことなどです。
確かに予習は事前に答えがわかってしまうから、考える力はつかないと思いがちですが、そうではないようです。授業では、今までよりわかるようになっているので、目を輝かせて授業を受けています。さらに、それを説明しようという気持ちが高まりました。ですから、理解力だけでなく表現力も身につくようです。しばらく予習をさせて、成果を上げたいと思います。変容がありましたら、また報告したいと思います。
『考える足場』と『予習』・・・・力がつきます!
さて、小学校の教師になってから今まで、算数の宿題は必ず復習中心でした。今日学習した内容が、しっかりと定着しているかどうかを確認するためです。それはそれで間違いではないのですが、最近、ふと思ったことが2つありました。
1つ目は、自分が算数・数学が好きになった原因です。もともと、小学校のころは、算数については中の中ぐらいで、算数は苦手じゃないけれど、得意でもないという感じでした。特におもしろみも感じていませんでした。
中学校に入り、ふと手に入れたカセットの教材。これは、テキストにカセットテープがついていて、カセットの指示通りに学習を進めることができるというもので、授業の前に予習もできるというものでした。授業の前にこのカセットで学習をしてみました。とてもていねいなテキストで、わからなかったり、間違った時はその場でカセットが自動で停止し、もう一度じっくり考えられるようなものでした。ですから、授業前に授業内容をほとんど理解していました。
そしたら、授業で先生が言うことすべて納得できたし、どんどん覚えることができました。さらに、成績も上がり、数学が大好きになっていました。予習のおかげでした。
2つ目は、 「考える足場」の授業スタイルにしてから、教えて学ばせるということの大切さを知りました。今までは、考える力をつけるために、教えないで学ばせていたということを実感しました。子供たちには、もっともっと教えていいのではないだろうかと思い始めました。
そんな時、東大の市川先生の著書「教えて考えさせる授業を創る」という本に出会いました。この先生は、以前このブログにも書きましたが、寒河江南小学校や足場の研究で有名になった青森県長者小学校などへ指導されている先生です。足場と同じ方向性ということで、本を購入しました。
その本の中に、予習の重要性について書いてありました。「算数で予習させてしまっては、やり方とか答えを見てくるので、考える力が身に付かないのではないか。」と疑問に思いました。しかし、自分の中学校時代の経験や、足場での実践のことを思い出し、子供たちに予習をさせてみることにしました。(もちろん、予習の仕方を子供たちに説明しました)
まだ、予習を奨励して1週間ぐらいしかたっていませんが、子供たちは少しずつ変わっています。まず、今まで消極的だった子供が、意欲的に挙手をするようになったことや、練習問題をすらすら解いて、他の子供に説明している子供が増えたことなどです。
確かに予習は事前に答えがわかってしまうから、考える力はつかないと思いがちですが、そうではないようです。授業では、今までよりわかるようになっているので、目を輝かせて授業を受けています。さらに、それを説明しようという気持ちが高まりました。ですから、理解力だけでなく表現力も身につくようです。しばらく予習をさせて、成果を上げたいと思います。変容がありましたら、また報告したいと思います。
『考える足場』と『予習』・・・・力がつきます!
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