この度の災害と年度末事務により、ずっと書き込みできませんでした。(と、言い訳します)「考える足場」についても、今いろいろと自分なりに復習して来年度への準備をしているところです。少しずつ、この場を借りてみなさんに理論や実践をお伝えできればと思っています。
今回の東日本の災害で、被災された大勢の方々には、心からお見舞い申し上げます。わが町にも、福島県からの被災された方々が大勢いらっしゃいます。自分なりに、できる限りのことをしたいと思っているところです。
このような状況の中で、今回の災害についていろいろなことを考えさせられました。
戦後の焼け野原の日本を、一人一人みんなで力を合わせ、欧米諸国に追いつけ追い越せでここまできました。物がなかった日本は、物質的に世界でも指折りの先進国に這い上がったわけです。物があれば、みんな幸せであるということを追い求めてここまでたどり着きました。いわば、物質至上主義的価値観のもと、努力してきたように思います。
しかし、今回の災害でガソリンや物資が不足したり、停電になったりして、経済も滞りました。現代社会では、電気や車なしでは仕事もできないし、世の中が回らなくなりました。食料も放射能の影響で、徐々に制限されてくるかもしれません。
車でどこでも行けるのは当たり前、おいしい食事ができるのも当たり前、夜中にコンビニにいくと開いてるのが当たり前、深夜までネオンがきれいな東京は当たり前・・・など当たり前のことがたくさんあります。しかし、当たり前のものがなくなってみると、不便というレベルでなく、生きていくのも大変になってくることがわかりました。
豊かなになるための物質主義を否定するのではありません。目の前のパソコンだって、車だって、新幹線だって、私たちを夢の世界に連れてきてくれました。しかし、「当たり前」のことも、多くの人の苦労や手間があったこと、だからそれを受け取った私たちの生活も豊かになったこと、そういうことを考えなくてはならないのではないでしょうか。だからこそ、当たり前のことに感謝すべき時だと思います。
さらに、日本中の人々、いや世界中の国々からも多額の寄付や多くの物資が集まっています。ボランティアの方々も、そして原発の最前線で命をかけて戦っている人たちには、もちろん感謝でいっぱいです。と同時に、自分を支えてくれている人や物にも感謝しています。家族、同僚、子供たち、近所のおじさん、通りすがりの人、コンビニの店員、毎日乗っている車、目の前のパソコン、酸素を供給してくれる植物・・・・・などなど、いろんな人や物に感謝して生きていくことが大事だと思いました。
めんどうなこと、嫌いなこと、会いたくない人、失恋、痛み、病気、苦しみ、貧困、飢え、事故、災害・・・など、私たちはできれば避けたいと願っています。しかし、過去を振り返ると、それを乗り越えた時に自分を何らかの形で高めてくれたのではないでしょうか。病気で苦しめば人の優しさに触れ、失恋を経験して真実の愛に気づき、貧困から心の豊かさを知る。これらの避けたいことというのは、実は本当の幸せを感じるために必要なことがふりかかっているような気がします。いやなことがあった時に、このようにポジティブに考えること、つまりいやなことにも感謝できるようになることこそ、本当の幸せへの道なのではないでしょうか。
ある有名人の友達は不治の病にかかっていたそうです。しかし、彼は常に感謝して明るく生きることをモットーとしていました。ある日、その病でその人は亡くなってしまったそうです。身寄りのない人だったので、友達みんなで彼のアパートに荷物を片づけに行ったら、壁やいろいろなものに、『感謝』という言葉を掲げていました。そして、ベッドの下から紙切れが出てきました。そこに書いていた言葉は、「病気に感謝」だったそうです。
被災されている方々は、とてもつらい日々を送っていると思います。先日の報道番組で、被災者の方が、「命があっただけでも感謝です。」とか、「もっと悲惨な目にあっているたくさんの人たちを思えば、ぜいたくは言ってられません。一切れのパンでも感謝しておいしくいただきます。」など、あれだけの災害の中で、感謝という言葉を発する方々がいらっしゃっいました。どんなことがあっても感謝できる心の持ち方こそが、幸せに生きるということだし、人に勇気と幸せを与えるものだと思いました。
どんな状況だろうと、感謝して生きている人は、真に幸せです。物がありふれてぜいたくな暮らしをして、すぐに次の欲求へと駆り立てられ、今の状況に不満を感じて生きている人より、ずっと幸せだと思います。
今、こうやって生きている私たちを支えているものすべてに感謝したいです。
本研究会では算数科を中心に、算数学び合いの石田淳一教授(東京家政大学、前横浜国大)のご指導のもと、「協働的な学び合い」の実践研究をしています。さらに、教育実践研究家の菊池省三先生を代表とする「菊池道場山形支部」として、白熱する教室を生み出す学級づくりをして、「主体的・対話的で深い学び」ができる子どもの育成を目指しています。 お問い合わせは、山形県南陽市立赤湯小学校 田井地 清まで vaio0819@yahoo.co.jp
2011年3月30日水曜日
2011年3月5日土曜日
『aicezuki』
『aicezuki』という文字は、ここ数日でかなり有名になったと思います。この事件については、新聞やテレビなどでトップニュースにもなりました。山形出身で仙台の予備校に通っていたということを知って、またまた驚かされました。(自分も山形出身で仙台の予備校に通った経験がありますので・・)
ヤフー知恵袋を閲覧しても、この話題で盛り上がっています。
・まじめに努力している人がいるのに、とんでもないことだ。
・偽計業務妨害罪ってどういう罪なのか。
・大学側も、見落としたことについて責任がある。
・あれだけのメールを短時間で打てるなんて、すごいテクニックを持っている。
・あんな難しい問題を、数分で解答を出せる人もすごい。
・「aicezuki」を逆から読むと、「行くぜCIA」
などなど、さまざまな意見が飛び交っています。
私もヤフー知恵袋を何度か利用したことがあります。ipodの曲をitunesに入れる方法がわからずに、質問しようとしたところ、誰かが同じ質問をしてベストアンサーを得ていましたので、活用させていただきました。すぐに答えが寄せられるので、便利なもんだなあと思っていました。それが、こんなに早く解答を出せるなんて改めてネットのすごさを知りました。
今や携帯と言っても、パソコンと同等になってきました。わからないことがあると、ネットの百科事典(ウィキペディアなど)で何でも調べられるし、画像の文章をスキャナと同じように文字変換もできます。携帯のメモ帳に、いろいろなデータを入力しておくこともできます。メールはもちろんですが、チャットもできるし、情報交換などは簡単にできるわけです。これがテストの時に使えればいいのになあなんてことは、受験生なら誰しも思ったことだと思います。今回は、ヤフー知恵袋という公共の場を使って、カンニングの証拠を残したてしまったわけですが、バレない使い方でカンニングをやっていた人はたくさんいるのかもしれません。もちろん、受験だけでなく、ふだんの中間期末試験などでも使っている人がいたのではないかという疑いも持ってしまいます。
中国や韓国では、カンニング用のグッズがネットで盛んに売られているそうです。今やカンニングもハイテクになってきて、いたちごっこをくりかえしていくのかも知れません。
今回の事件では、いろんな人たちのいろんな思いがうかがわれます。aicezuki君は、カンニングがばれたら、どうなるかぐらいはわかっていたと思いますが、こんな事件に発展するとは思っていなかったでのはないでしょうか。ニュース報道があった時の彼は、逃亡中の極悪犯のような気持ちになっていたと思います。彼の母親を始め、周りの人たちもかなりの衝撃だったでしょう。
大学側の人たちも、複雑な思いでしょうね。公共のネットでカンニングが発覚してしまった以上、被害届を出さなくてはならなくなったのではないでしょうか。その場でカンニングを発見できたら、ここまで大きくはならなかったかもしれません。試験監督をしていた人たちも、見落としていたことでかなりの責任を感じていると思います。
自分もこの事件を知り、教育者としていろんなこと考えました。
小さいことですが、学校で子供たちが廊下を走っていたら注意します。その時の子供たちの口から出ることで気になることは、「自分だけじゃなく他の人もやっているから」とか、「誰も見ていなかったから」とか「走らなくてはならないわけがあったから」と言う理由が多いことです。
人間には、弱い部分があり、やってはいけないことと思っていても、誰にもバレない、またはみんなやっている、どうしてもやらなくてはいけない事情があったなどとと思えば簡単にやってしまう。
道徳教育でも、このような人間の弱さというものを前提にしながら、人間としてどうあるべきなのか、なぜいけないのかを真剣に話し合うことが必要だと感じました。
今回の事件は、もちろん許される行為ではありませんし、社会的にも大きな波紋を投げかけたのは言うまでもありません。隣の人の解答をカンニングしたというのとは、わけがちがうと思います。そういう意味でも、今後二度とこのような事件が起きないようにするために、いろいろな立場の人たちが対策を練るのはもちろんですが、子供たちや若者一人一人がこの事件のことを深刻に受け止めるべきですね。
期末事務のまっただ中ですが、ブログアップしてしまいました。今回の土日が勝負!がんばるぞ!と
ヤフー知恵袋を閲覧しても、この話題で盛り上がっています。
・まじめに努力している人がいるのに、とんでもないことだ。
・偽計業務妨害罪ってどういう罪なのか。
・大学側も、見落としたことについて責任がある。
・あれだけのメールを短時間で打てるなんて、すごいテクニックを持っている。
・あんな難しい問題を、数分で解答を出せる人もすごい。
・「aicezuki」を逆から読むと、「行くぜCIA」
などなど、さまざまな意見が飛び交っています。
私もヤフー知恵袋を何度か利用したことがあります。ipodの曲をitunesに入れる方法がわからずに、質問しようとしたところ、誰かが同じ質問をしてベストアンサーを得ていましたので、活用させていただきました。すぐに答えが寄せられるので、便利なもんだなあと思っていました。それが、こんなに早く解答を出せるなんて改めてネットのすごさを知りました。
今や携帯と言っても、パソコンと同等になってきました。わからないことがあると、ネットの百科事典(ウィキペディアなど)で何でも調べられるし、画像の文章をスキャナと同じように文字変換もできます。携帯のメモ帳に、いろいろなデータを入力しておくこともできます。メールはもちろんですが、チャットもできるし、情報交換などは簡単にできるわけです。これがテストの時に使えればいいのになあなんてことは、受験生なら誰しも思ったことだと思います。今回は、ヤフー知恵袋という公共の場を使って、カンニングの証拠を残したてしまったわけですが、バレない使い方でカンニングをやっていた人はたくさんいるのかもしれません。もちろん、受験だけでなく、ふだんの中間期末試験などでも使っている人がいたのではないかという疑いも持ってしまいます。
中国や韓国では、カンニング用のグッズがネットで盛んに売られているそうです。今やカンニングもハイテクになってきて、いたちごっこをくりかえしていくのかも知れません。
今回の事件では、いろんな人たちのいろんな思いがうかがわれます。aicezuki君は、カンニングがばれたら、どうなるかぐらいはわかっていたと思いますが、こんな事件に発展するとは思っていなかったでのはないでしょうか。ニュース報道があった時の彼は、逃亡中の極悪犯のような気持ちになっていたと思います。彼の母親を始め、周りの人たちもかなりの衝撃だったでしょう。
大学側の人たちも、複雑な思いでしょうね。公共のネットでカンニングが発覚してしまった以上、被害届を出さなくてはならなくなったのではないでしょうか。その場でカンニングを発見できたら、ここまで大きくはならなかったかもしれません。試験監督をしていた人たちも、見落としていたことでかなりの責任を感じていると思います。
自分もこの事件を知り、教育者としていろんなこと考えました。
小さいことですが、学校で子供たちが廊下を走っていたら注意します。その時の子供たちの口から出ることで気になることは、「自分だけじゃなく他の人もやっているから」とか、「誰も見ていなかったから」とか「走らなくてはならないわけがあったから」と言う理由が多いことです。
人間には、弱い部分があり、やってはいけないことと思っていても、誰にもバレない、またはみんなやっている、どうしてもやらなくてはいけない事情があったなどとと思えば簡単にやってしまう。
道徳教育でも、このような人間の弱さというものを前提にしながら、人間としてどうあるべきなのか、なぜいけないのかを真剣に話し合うことが必要だと感じました。
今回の事件は、もちろん許される行為ではありませんし、社会的にも大きな波紋を投げかけたのは言うまでもありません。隣の人の解答をカンニングしたというのとは、わけがちがうと思います。そういう意味でも、今後二度とこのような事件が起きないようにするために、いろいろな立場の人たちが対策を練るのはもちろんですが、子供たちや若者一人一人がこの事件のことを深刻に受け止めるべきですね。
期末事務のまっただ中ですが、ブログアップしてしまいました。今回の土日が勝負!がんばるぞ!と
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